英文法についての質問です。
①不定詞toについてです。ネイティブの方々は日本人のように例えば「このtoは副詞的用法だから、こう解釈するんだ」のようには考えていないと思います。
新聞記事を読んでいるときは「toはto」として解釈しているはずです。彼らは一体どのように「不定詞」を捉えているのでしょうか。また、前置詞toとの違いは何でしょうか。英文和訳のようなテストで困ることはありませんが、どう考えても「toはto」のような気がするのです。(留学生が日本語について勉強しているのを傍から見ていて「日本人はそんな風には考えないのだけどなあ」と思うことも多く、このような考えに至ったわけです)
②完了形についてです。完了進行形と進行形の違いとはどんなものなのでしょうか。完了形を使う場合は「話の中心は現在(過去の一点)にあって、現在(過去の一点)に対して影響を及ぼしている、ということを表現する方法」だと思いますが、完了進行形導入すると、どんなことが表現できるようになるのでしょうか。和訳するだけですと、特に過去完了進行形と過去進行形の区別が付き難く感じます。
また、「完了形とともに使えない単語」として、when I was a childが挙げられることがありますが、なぜMy father had been reading a news paper, when I come in the kitchen. は大丈夫なのでしょうか。明確に時を表す語句とは一緒に用いることが出来ない、と文法書にありますが、when I was a childですと、子供であった時期は数年と「時間的スパン」があり、むしろwhen I come in the kitchen.の方が「(入ってきた)一瞬」を表すように感じ、後者の方が完了形と共に用いてはいけないのでは?と考えてしまいます。
漠然とした質問で恐縮ですが、何かヒントを頂ければ幸いです。
①について、
母語はものごころがつく前に、こういう言い方ができる、そういう言い方はない、ということが頭の発達過程の中で染み込むように覚えていきます。したがって、日本人は理屈抜きに「は」と「が」の使い分けや、動詞の活用(「する」の否定は「すない」ではなく「しない」など)を覚えてしまいます。しかし、いったんある言葉で育ってしまった人が別の言葉を覚えるときには、例えば日本人が英語の勉強をするときには、英語は主語の次に動詞が来て動詞の種類によっては目的語が来たり補語が来たりする、という理屈に従って覚えるのが効率的であり、納得できます。人はでたらめなことを覚えることはできません。だから、外国語を覚えるには文法が大切なのです。日本語を勉強する外国人が日本人の知らない日本語文法を知っているのはそのためです。「日本人はそんな風には考えないのだけどなあ」と思うのが当然なのです。
②My father had been reading a news paper, when I was a childという文章を考えてみましょう。父はある過去の時点まで新聞を読むという行為を続けていた、その時点とは私が子供であったとき。こういう文章は正しいですか?おかしいですね。だから、この場合whenはある過去の瞬間的時点でないといけません。その意味でこの場合は、when I came into the kitchen.の方が自然です。
0 件のコメント:
コメントを投稿