皆さんの英文法の位置付け
ここでよくプラクティカルに英語を勉強しようとする方が、英文法を勉強しないと、英語が見につかないと思うせいか文法の勉強について質問がよくでてきます。
逆にプラクティカルに英語を勉強を考えている人にたいして熱心に英文法の勉強を進める人もいます。
経験的にいうと、プラクティカルな英語を習得するのに、英文法の理解は私は殆ど役に立ちませんでした。
文法というか言いまわしとして感覚的に消化していくことがおおかったので、皆さんはどのように英文法をとらえ、勉強されているのかとおもいました。
たしかに、過去けい、進行けい、現在完了、不定詞、動名詞、関係代名詞、分詞構文、前置詞がある事ぐらいは(物によっては何となく)でも把握しておかないと行けないと思いますが、一つ一つ細かく見るほどのもんだろうかと思ったりします。
確かに人それぞれでやり方があると思いますし、文法を勉強してプラクティカルな英語をみにつけたかたはどのように活用したのかとか興味があります。
また、仕事のからみが多いと思いますが、英語をプラクィカルに使っている(特にしゃべったりするだけでなく、読み書きも含めて)かたの皆さんの英文法の位置付けがきになります。
そういうことに関して、みなさんどう思ってらっしゃるか教えてくだい。
具体例なども書いてくださると理解の助けになると思いますが、
そのへんの判断は皆様に任せます。
先ほど、この英文での解釈の質問で回答しました。
People who exercise often have a lot of energy.
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1335734468
そこにも書いたんですが、この程度の英文で屁理屈をこね回すような文法は不要です。かえって足を引っ張るだけでしょ。この文が直感的に分からなければ英文など読めません。それをぐだぐだ解説している回答者もいましたが、その人もまったくセンスがないと思います。ようするにこの英語で躓いているようでは、まず会話はムリです。文法は振り回すものではなく、裏づけとしてだけ使うものでしょう。私はイギリスで英語を覚えたとき、文法はよくわからなかったです。厳しく訂正はされました。そういうときはmayは使わないとか、wouldで言いなさいとか。しかし、仮定法などという言葉を知ったのは後のことです。しみこんだ英語がなければ、理論付けはただの屁理屈になってしまいます。実感というものがないからです。私はイギリスの大学に入ってから英文法と言語学を学んで言葉の理解を確立できたようには思いますが、それも根底にしみこんだ英語があったからだと思います。日本語ネイティブの人でも自分の日本語をきちんと磨こうと思う人は文法に関心を持つでしょう。しかし、それを杖に日常会話をしようとは思わないでしょう。英語の場合も同じです。
外国語を学習する、ということは、すなわち、その言語の語彙に加え、文法を習得する、ということです。語彙は、料理をするときの材料、文法は、レシピ。このレシピには、発音の仕方、語の綴り方、も含みます。つまり、文法とはその言語の「きまり」の総体です。
母語話者、というのは、この「きまり」を知っています。よく知っている人は、その母語の使い方がうまい大人であり、あまり知らない人は、つまり、幼児です。でも、母語話者は、この「きまり」について知らない人のほうがほとんどです。
質問者さんは、たとえば、「おなかがすいた」と「おなかがすいている」の意味の違いを説明できますか? 日本語話者でこの説明が出来る人は、言語にとくに注意を払って来た人か、あるいは、今まで注意を払ったことはないが、特に語感の優れている人、だと思います。
でも、日本語話者なら、この二つの文は確実に使い分けています。なぜ使い分けられるかと言うと、「きまり」を知っているからです。でも、その「きまり」を説明しろ、と言われたら、ふつうはできない、あるいは、するのはむずかしい。なぜ? それは「きまり」について、知識がないからです。
ある言語の話者、というのは、その言語の「きまり=文法」を知っています。
でも、その「きまり=文法」については、知らないことの方が多いです。
「文法」とは、言語の話者の頭の中にあるものです。では、「文法書」に書かれた「文法」は、いったい何? それは、ほんとうの「文法」を、こうなのではないかな、と人間が考えて、「紙に書ける形」で書いたものです。つまり、「文法書」に書かれた「文法」とは、「文法について(書かれた物)」なのです。
母語話者の頭の中にある「文法」
紙の上に書かれた「文法」
このふたつを混同してはいけません。
母語話者はその言語の文法を知っています。
でも、その言語の文法については知識はふつうあまりありません。
外国語学習者は、母語話者の持つ文法を学習しようとします。理想的なのは、文法を、多くの言語インプットから無意識に脳内に作り出すことなのですが、そうもしていられない、という事情があります。それで、ここに、「文法」について書かれた「文法」の登場、となるわけです。つまり、「母語話者の頭の中にある文法」について書かれた「紙の上に書かれた文法」の登場です。
質問者さんがこのようなご質問をするときには、この二つの文法の混同があると思います。
言語を習得する、というのは、語彙に加え文法を修得することです。それ以外のなにものでもありません。文法書に書いてあることを習得する、のが言語学習ではありませんよ。それは、忙しい人間の外国語学習の手段の一つにしかすぎないのです。
その言語がどれだけ習得できているか、というのは、
・どれだけ「紙に書かれていない文法」が習得されたか、
あるいは、
・「紙に書かれた文法」がどれだけ「紙に書かれた」状態でなくなったか、
ということです。
文法が分かっていれば、それから逸脱した言い方にであったときに、応用がききます。なぜ逸脱しているのか、また、なぜ逸脱していてもだいじょうぶなのか、など。
追記:
tangoya3さん、snow_blade_salmonさん、makojiji2003さん(補足部分以外)、のお三方のご意見に、ご迷惑かもしれませんが、賛同の意を表したいと思います。
文法は、将棋で言えばこまの動かし方です。 それを知らずに見真似でやっても知らない同士なら勝てることもあるでしょうが天才でないかぎり、初歩レベルになるのに100年かかりますよ。 日本人にとっての英語も同じです。 すべての言い回しを覚えやすく整理したものと捉えれば、文法はこの上なきアンチョコとして役立つはずですが。
すげえ堅苦しいヤツだなあと思ったんだけど、この疑問というか質問の切り口は非常にいいと思うよ。
これは多分、もう一段語学のスキルを上げようとしてるヤツが必ず超えなきゃいけない壁で、よく同義のテーマで議論がある。俺も大学のとき、遊び呆けてた割にはたまたまこういうことをやる授業だけ何故かちゃんと通ってて(カワイイ子が多かったからね)、これやったんだけども。
英語がペラペラなネイティブを考えてみる。日本語がペラペラなネイティブを考えてみる。
「別に俺、そんなこといったつもりは全然なかったんだけど、おまいがもしそう否定的に受け取ったのであれば、俺の言い方が悪かったのかもしれないし、その点については俺は謝っておくべきだろうな」
こんな文章を、英語側でも日本語側でもネイティブはペラペラっとしゃべれちゃうわけ。自然に。頭んなかで、あそこを「べきだに(shouldに)」、そんでこっちは従属節にしてなんて全く考えてないでしょ?自然にスラスラ構築できる。
ずっと小さい頃から何文例にも増えて最も効率良く、かつたくさん言い回すだろう語順を自然として、経験的に反射で回答を出せるわけ。その際に文法なんてまずほとんど必要としてないし、脳内回路も文法を使ってない。だけど、俺やおまいが英語に、欧米人が日本語でこれを言おうとしたら、脳内で文法を設計図のように参照しながら妥当性を判定しながら並び替えをするんだよ。
これこそ、他のやつが書いてるが、イチローが何も考えずにボールをジャスミートでひっぱたく理論だよ。
じゃあ、逆に俺やおまいが、イチローみたいにボールをひっぱたけるようになるためにはどうするべきか?
こりゃ無理だよ。もしやろうってのなら「野球とは?」「野球の歴史」「野球のルール」「バットの持ち方」「構え方と初動開始の関係」「ボールのコースとその対策」とか理屈で覚えていくしかない。
あたりまえなんです、それがネイティブに脳内に回路構築されていないものを、同じように習得するには「理屈」や「理論」でそれを捉えて理解して、咀嚼した上で、脳内に回路を新規構築しなきゃ無理なんです、そうにできてんの、人間の脳みそが。
イチローと同じくらい時間を掛けられるなら同じ時間かければ、彼と同じプロセスで習得することは可能だろうよ。けど、そんな時間も機会もないでしょ。
語学も同じだよ。あとから習得するんだったら、時間と経験・機会をネイティブと同じにできないなら、設計図見ながら理解するしかないのです。
というわけで、英文法の学習と習得は必須なわけで、なぜなら、英文法こそ、英語という言語の設計図だから。設計図なしに新たにモノをつくるとか荒唐無稽なのですよ。
だって、あたりまえじゃない、土台もまともに作れないのに家が建つわけないでしょ。
お母さんが子どもに「『行ったです』じゃなくて『行きました』でしょ」と注意するのも文法に基づいているわけで、ことばを使っているかぎりはだれでも文法は使っているわけですよね。でなければ他人に通じませんし。
あなたのいう「プラクティカル」というのがどういうことなのかいまひとつわからないのですが、英会話学校の英会話みたいなのが「プラクティカル」で、「文法」はそれとは関係のない対立する概念だという意味でしたら、そんなことはないと思います。
イチロー選手は、物理学や解剖学を知らなくても、どういう角度、どういう速さでボールがくれば、どのタイミングでどの筋肉を動かしてどのくらいの力でどっちの方向にバットを動かせばよいかをよく分かっているわけでしょう。それと同じで、英語を自然に使えるひとというのは文法用語は知らなくても実は英文法をよくわかっているのだと思います。
日本人の多くは英語を自然に習うことがむずかしいので、文法というある程度整理された約束事を学習することによってより早く効率的に英語を身につけようとしているだけのことです。
実用的な英語(=意味が通じる英語)を話すには文法は必要です。但し、必ずしも受験文法を意味するわけではありませんので、混同しないことが大切です。実用的な文法の覚え方には様々な方法があり、個人差もあると思いますが絶対に必要です。例えば以下のような文において、頻度を表す副詞が一般動詞を修飾する場合は動詞の前にくるのが一般的であるという規則を知らないと、exercise oftenと誤って解釈することになり、意味が全く違うものになります。
Kids who exercise often have a healthier body weight than kids who don't exercise.
英語に限らず外国語を学習するのになぜ、「プラクティカル(実際的の意味で使っているのかな)」と「文法」を分けるのかが理解できません。この二つは切り離せないと思います。大体基本的な文法を知らなければ(当然あなたがボキャブラリーを持っていると仮定してですよ)外国語を聞いても、そして自分で話そうとしても相手に正しくその意味を伝えられますか、相手の言うことを正しく理解できますか。極端に言えば平叙文か疑問文か、肯定文か否定文の区別も相手から言われなければわからないで単語の意味だけ知っている状態ですよ。話し言葉の抑揚、アクセントも文法の立派な一部だと思うのですが。そして少し余分の学習でそれが身に付けられるのであれば、文法も平行して勉強すべきだと思います。あなたのボキャブラリーが増えるのと同時にあなたの文法知識が増えるのは長い目で見て決して悪いことではありません。何しろ未だに3人称単数現在のsがわからないという人が万といるのですから。
補足。
補足させてください。回答を出してから貴方のご質問を改めて読み直してみました。あなたの耳に痛いことを言いますが、プラクティカルな英語をどうこう言う前に、あなたの日本語を漢字の使い方を含めてもう少し見直してみることを強くお勧めします。あなたの文章から想像するに、「文法は役に立たなかった」というには若すぎる年齢の方であるように感じますが。原則的には勉強には年齢的な制限はないと(学習者の気力の問題はありますが)私は思っています。